ロータリーの目的
社会生活における人間の成功と幸福は、他人に対する思いやりと、他人を助けることにあるとするロータリーでは、クラブ奉仕・職業奉仕・社会奉仕・青少年奉仕の各部門を設け各自の職業を通じて『奉仕の理想』(Ideal of Service)を鼓吹し、育成することを目的としています。

ロータリークラブの誕生とその成長
ロータリーは、1905年(明治38年)2月23日に米国イリノイ州シカゴで誕生しました。青年弁護士のポール・パーシ・ハリスが創始者です。

当時、米国では、経済恐慌で人心はすさみ、犯罪は巷に満ちている有様で、これを憂えたポール・P・ハリスは、その頃、暗黒街であったシカゴの町が住みよい町にならないものかと、常日頃から考え続け構想を練っていました。

そして1人でも多くの同士の人を友人に持つことができたらと考え、代表的な職業人及び専門的職業人の一団を交友の結びとするクラブを結成しようとの構想になりました。

そこでまず、3人の友人と語り合って、2月23日に第1回の会合を持ったのが、今日の全世界のロータリークラブの始まりと言われ、最初の内は、例会場を持たず、お互いの仕事についてよく知ることができるようにと、4名の会員の事務所やお店を輪番(In Rotation)にクルクルとまわって会場として開き、会長や役員も一年ごとに持ち回りにしていたところから、この輪番に因んで、この団体を『ロータリー(Rotary)』と名付けられました。

こうしたささやかな理想の芽生えは、その後次第に拡大し、現在では、全世界で160以上の国家に広められ、クラブ数31,314、会員総数は1,220,543人(2002年12月現在)の世界的規模の奉仕組織となり、これら野クラブの連合会として国際ロータリーが構成されています。

日本のロータリークラブ
日本のロータリークラブは、1918年(大正17年)に財政調査団員として渡米し、その際、ダラスでロータリー活動に接し、大いに心を動かされて帰国された三井銀行(現在の三井住友銀行)の重役であった米山梅吉氏が、ロータリーの精神と組織の研究に努められました。

当時は第一次世界大戦の不景気の中で、ロータリー精神が容易に受け入れられる状況ではありませんでしたが、米山氏の熱意は少しも衰えず、1920年(大正9年)10月20日に、賛同の有志25名と相図って、東京の銀行クラブで『東京ロータリークラブ』の設立総会を開いたのが、日本のロータリークラブの始まりで、翌1921年(大正10年)4月1日に、世界で855番目のクラブとして加盟を承認されました。

それ以後、続々とクラブが誕生しましたが、第二次世界大戦により、国際ロータリーから一時脱退しなければならなくなりましたが、その後もよくロータリーの精神を堅持して会合に勤め、その神髄と組織を維持され、さらに、戦後の平和回復とともに、国際復帰を目指す努力が実って1949年(昭和24年)には、国際ロータリーへの復帰が認められ、以後、北海道から沖縄まで、その会員数は、107,179名、クラブ数は2,323(2003年8月末現在)に達し、すべての都市すべての町に、その理想の翼を広げて奉仕活動を続けております。

会員は、地域内の奉仕の理想に燃える堅実な事業家・専門職業人が毎週1回のクラブの例会出席によって、各職業人の交友を通じ、地域社会へ、より多くの奉仕の機会を得ようと努力しております。

 
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